ここ沖縄本島南端は沖縄線終盤に多くの住民や学徒や兵士が追い詰められ犠牲となりました。そのため、戦跡と慰霊碑がこの辺りには数多く存在します。
1945年3月にアメリカ軍が上陸すると同時に沖縄の学生たちは無理やり戦場に駆り出されました。そのなかの一つであった「ひめゆり学徒隊」も同3月23日に南風原の沖縄陸軍病院に配属されますが、病院と言っても丘の中腹に穴を掘っただけのもので、砲弾も飛び交っていました。
そんな劣悪な環境のなかで生徒は医師と看護師と一緒に負傷兵の看護から雑用、さらには伝令や食料運搬まで行っていました。
しかし5月下旬にアメリカ軍は日本軍の司令部がある首里までやってきて、それと同時に陸軍病院もさらに南部への撤退を余儀なくされました。
ひめゆり学徒隊は砲弾が降る中ここ「伊原第三外科壕」を含む6つの壕に分散して南部に逃げてきましたが、それでもまだ伝令や水汲みなどの任務は続けていました。 そして終戦も近くなった6月18日の夜にひめゆり学徒隊に解散命令が下されました。
戦場の中で無責任に出された解散命令によって学徒たちは行き場を失い、砲弾の飛び交う中を逃げましたが、ほとんどの人は命を失うことになりました。
「ひめゆりの塔」は、最後の壕のひとつであったここ「伊原第三外科壕」に、沖縄戦で犠牲になったひめゆり学徒隊をはじめ沖縄戦で亡くなった方々への慰霊と平和を願って建てられたものです。
ひめゆりの塔を目指して車で走っていると、賑やかな場所が現れます。寂しい場所にありそうなイメージですがこのような看板がずらりと並んでいます。
このあたりにはこのようなお土産物屋さん・食堂がいくつかあり、それぞれ駐車場を無料で提供して観光客をお店に入れるように工夫しています。
私が利用した駐車場のお店は、店内を必ず通らせるシステムをとっていました。中にあるカフェのサービス券もくれましたが、時間がなかったのでスルーさせていただきました。
ひめゆりの塔入口です。この小さな建物ではおばあ達がお花を販売しています。なんとなく買わなければいけない雰囲気になりますが、買わなくても中に入れます。
入ってすぐの場所にある案内図を見てどこに行くか考え…るほど広い敷地ではありません。ひめゆりの塔と資料館に大きく分かれています。無料で見学(参拝)できるのはひめゆりの塔だけです。資料館は入場料がかかります。
ひめゆり学徒を含んだ297名の命が奪われたことなどについて書かれていますが、達筆すぎて少々わかりづらいかもしれません。
職員の碑です。ひめゆり学徒隊だけでなく病院の職員や医師も砲弾が飛び交う環境の中、兵士たちの傷を癒していましたが容赦ない攻撃の犠牲となりました。
多くの千羽鶴が見えます。観光客が多いここひめゆりの塔ですが、戦争の供養で訪れる方もまだまだたくさんいらっしゃいます。
ここが最後の6つの壕のひとつ「沖縄陸軍病院第三外科壕」の跡地です。この平和な景色からは、まさにこの場所に砲弾の雨が降っていたとは想像ができません。
動員命令が出てからわずか2ヶ月で撤退が始まり、その3週間後にこの南部まで逃げてきましたが、解散という名目で見捨てられ、命を落としていきました。
戦争のない現代の日本を生きる私たちですが、この悲惨な出来事があったのはわずか70年前のことです。こんにち気楽に体験ダイビングなどができるのも過去に犠牲になった方があってのこと。わたしたちができるのは、このような事が繰り返されないようにすることと思っています。
この場所に訪れた人はもちろん、ひとりでも多くの人が戦争の理不尽さを実感していただきたいと切に願います。